rumbling rebels

Translations of Rock Lyrics,and so on! Beat Goes On And On!

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Location: TOKYO, Japan

Saturday, December 24, 2005

NYCのおとぎ話

クリスマスイブの出来事

呑み屋で
老人に言われたんだ
よそ見は 止めなよと

気付いたら 皆 うたってたんだ
幻の山のいただき のことを

俺は 瞳を 輝かせて
あんたを想った

幸せだな 

ここには 嫌な奴はひとりもいないぜ

今年は 俺と あんたの年!
なんて 素敵なクリスマス

愛してる

ぜぇったい 辿り着けるさ
俺たちの夢が全部叶う場所に

カウンターみたいに大きな車も手に入れたし
莫大なオカネも手に入れた
でも、あんたを逆風に さらしてきた
老兵の居場所は もう ないのさ

初めて出逢った 寒い クリスマスの日
"ブロードウェイが あんたを 待ってる" って約束したよね

格好良くって 素敵な あんたを

とびきりのNY娘たちが
バンドが演奏を終えたとき 
"もっと聴かせて"って懇願した

シナトラがスウィングして、酔っぱらいは みな うたってた
俺たちは
街角で口づけして
夜通し 踊ったんだ

NYPD 合唱団 あがりの少年達が "Galway Bay"をうたい
鐘は クリスマスの日に 響き渡ってた

ぐうたらも
パンクスも

ベッドに深々と死んだように横たわっている
瓦礫のなかの じゃじゃ馬も

ペテン師も
きまぐれなアイツも
ふしだらな 同性愛者も

幸せなクリスマスを過ごせますように!

NYPD 合唱団 あがりの少年達が "Galway Bay"をうたい
鐘は クリスマスの日に 響き渡ってた

誰かだったら もっと上手くやってのけるかもしれないけど
あんたは 一目会ったときから 俺の夢の化身だから
決して 離しやしないよ
俺の 夢を はぐぐんでくれた あんたを


NYPD 合唱団 あがりの少年達が "Galway Bay"をうたい
鐘は 鳴り響く

そう

クリスマスの日に

Tuesday, December 20, 2005

罪と馬鹿

罪だぜ

間違っても、自分が想像できないぐらいの努力の積み重ねで
その場所に立っている 存在に 対して
天にツバを吐いたって、自分の顔に落ちるだけだっていうのに、

バカだぜ

間違っても当事者が アクセスできないところで
ただ、自分の愚かさを見て見ないふりをするために、
こきおろす

いくら、そいつが そこ以外の場面で
どんなにその穴を見せまいと努力したって
そいつ自身が気がつくまで絶対に見えてこない
巨大な穴が無数に空いているってことに、

気づいてほしい

駄文を書き連ねた1秒後でもいいし

自分の弱さから逃げようとして ワカッタフリをしながら
開き直って御託を並べてる途中でもいいし

似た者同士で、つるんでる振りの誰かと 駅で別れたあとでもいいし

なんとなく流しているBGMから聴こえてくるディランの歌から
それまで見えてこなかった イキドオリ を感じることで気付くのもいい

星の数だけ きっかけは ある

ただ その後どうするか? さ 問題は

他人を 畏れろ
年長者を敬え
ウソをつくな
人様のモノに 手をつけるな


警句は 人の口の数だけ ある

でも ふまえなきゃ ただの音の羅列と一緒さ


心の奥では気づいているのに、
それを認める勇気がないなんて

罪だぜ

一生逮捕はされることはないけどもさ
自分という全てを知ってる警察官は
最後のタメイキをつくまで
あんたの隣に居るってことに

気付いてほしい

Tuesday, December 13, 2005

チェインギャング

きっかけは友達のblogだった。
いわゆる"ファーファッション"に強力にプロテストする
短いweb映像を見たのだ。

内容的には 毛皮がどう創られるかというものだったのだけども。。。

思わず、目を背けるような映像が、10分あまりにわたって
そこには あった。

それをきっかけに関連情報をDigするなかで、

先月末の報道で、ポールマッカートニーが
中国で行われているファーファッションの生産過程を
BBCで放送予定のドキュメントのフィルムを通して知り、激怒、
北京オリンピック、また、今後、中国での演奏活動を、
ボイコットする! と発言した、という記事にぶちあたった。

それを読んだとき、
ほんとうに久々に持って行き場がない
感情が 心に渦巻いた。

これは、凄く、複雑な問題だと思った。
多分、極端なことをいうと、
人と人は、なんで殺し合うのか? とか
昔 あったアパルトヘイトの問題の根っこにあること とか、
すごく根源的な ところまで、話が さかのぼっていくだろう。

思うに、今、世界的に、
あまりに昔から繰り返されて、今なお出口が見つからず深刻化する
様々な事態に対して、いわゆる精神的な免疫機能が
麻痺してしまって、未来に覆いかぶさってくる漠然とした不安とか
"絶対 どうにもならない"、っていう あきらめに
支配されかかってるのかもしれない。

また、一日経ってみると、凄く恣意的な作為があることにも気づいた。
これは、友人と対話しながら ハッとしたんだけども。

身近な例でいうと、
最近、また、毎日のようにオンエアされる報道番組を
みるのがホントに辛くなってきてしまったところだったのです。

ネガティブな
事実を知る事で、じゃぁ、せめて、自分は!って、反作用で ポジティブに
部屋を出て行けるように!って祈りながら視聴してる始末。

いま現在有効とされるあらゆるメディアを駆使して
社会の事に対して発言したり、書いたりしていると、
個人的には、ほんとに何でも言える反面、二次元上、
blogとかwebsiteとかソーシャルネットワークコミュニティの中では、
凄い無責任さも生じてくるもんなんだなぁ って改めて痛感した。

ある部分では凄く心のこもったプロテストにもなりうるし、
その反面、悪意に満ちたプロパガンダにも見えるっていう矛盾。

凄く恣意的に、事態を単純化させたがる人たちの
手のひらの上に、いつの間にか のせられないように、
そういう、違和に"気づく"感性のアンテナ"は ずっと研ぎすませていたい

と 思いながら、いつのまにか その逆の立場にも ほんとに
びっくりするぐらい、あっさりと陥ってしまうという罠。

一番肝心な事は そういう状況を いかに 個人の中で
対象化して、気づくかどうか、だ。

個人が自分にできることを、やるっていうのが、
心の平穏さを保つ唯一無二の方法なんだっていうのも
昨今、よく実感させられる場面が多い。

ポールマッカートニーにしても、
それに気づいたとき、自分のペンから何度目かの、
世界中を感涙させる曲が溢れてくるって本気で想うよ。
だって、今までだって 何度もあったしさ。

才能を最大限に活かす方向性を
切り開くのに使い続けるのが、アーティストにとっての
最大の使命だし、それを全うできたひとが、
どんな社会状況の中でも、微笑みの中で
最後のタメイキをつけるんじゃないかと思うよ。

そういう、誇り高き世界市民でありたい これからも。

Wednesday, December 07, 2005

カラッポな想い

入って来なよ
ここに座ってさ
くつろいでさ、家なんだから

あんたってマジ俺みたいだね
一人になるのが嫌いなところが 可笑しいけどさ

時はめくるめく
正気の沙汰じゃないだろ?
でも、それはまぎれもなく、事実なんだ


こころはカラッポ
そう すっからかんさ
あんたのせいでさ

来なよ 心を開いて
家に居るみたいな感じでさ

あんたと俺は ろくでなしだけど、ひとりにはなりはしないさ

時が過ぎ行くのはおかしなもんだけど
なすがままに ほっときなよ
心はカラッポ マジでさ あんたが居ないから
こころはカラッポ
そう すっからかんさ
あんたのせいでさ

さ、落ち着いてさ
甘く、クールに笑かしてくれよ
少なくとも今は
あんたは オロカなオレを 愛する術は 手にしてるはず

時が過ぎ行くのはおかしなもんだけど
なすがままに ほっときなよ
心はカラッポ マジでさ あんたが居ないから
こころはカラッポ
そう すっからかんさ
あんたのせいで

Original Song Lylic is written by Mick Jaggar &Keith Richards
Translated by Taisuke Ebinuma Copyright (C)2005